大学生活を振り返って2(前半)

2回生。



基本的に、2回生は尼崎から始まる。大学が4月から始まり、普通に大学に通うと同時に土日は尼崎へ出向き活動の手伝いをしていた。ほぼ休みはなし。活動をしていく間に段々と知名度も上がり、街の反応も悪くないものに変わってきたことを実感できたので正直言うと自信はあったが、確信はまだ得られていなかった。それがこの活動の難しさの証でもある。ただひたすら自分たちにできることだけを日々こなすだけというルーティンワーク的なところもあったが、私にとってはまだまだ斬新で楽しんで活動をしていた。

そして最後の一週間。この一週間は大学の講義を全て休んで尼崎入りしていた。この時の街並みは既にお祭り状態だった。よく色んな人らから、最後の一週間はお祭りだと言われていたが、意味はよく分からなかった。ところが実際その期間に入ると、お祭りのごとく街が賑やかとなっていることに気がついた。大声を撒き散らして活動する他陣営はライバルとはいえ、この街のために一生懸命やっているのだと思うとつい嬉しくなってしまった自分がいた。

基本的には従来の活動と中身は変わらなかったが、我々は仮想敵国を作ってそこを皆で徹底的に潰しに行ったりして、それが妙に楽しかったのを今でもよく覚えている。後は、他のところのパフォーマンスを見てそれを真似てみて、皆でひそかに盛り上がっていた。他陣営の彼らはまさしくエンターテイナーであった。いかに人を惹き付けることができるか、言葉だけではなく、身体を用いて目立とうとする姿勢は何ら間違ってはいない。全ては注目されることから始まるから。見向きもされなければ、全く持って問題にならない。注目をされた上で、あとの判断は市民の皆さんにお任せすればいいのだから。

期日が近づくにつれ身体的な疲労が増してきて、思うように行動ができなくなってきた。声も出ない。足も動かない。チームの皆の疲労もピークに達してきた。ひとりは塾講師で夜活動が終わって事務所兼寝床に戻ってきても次の日の予習をやっていたなぁー。すごく熱血感溢れる人だった。そしていつの間にか寝て次の日の朝にはちゃんと定時に起きているのだから大したものだと思っていた。とにかく体力自慢の人は多かったが、そんな方々でさえも辛いって思ってしまうほど過酷な一週間だった。

そして最終日。この日はちょっとしたイベントを催した。最後の街頭演説会である。ひとつの駅をジャックして、盛大に演説会を行った。その会場にはなんと国会議員も駆けつけてくれて、華を添えてくれた。私はこの会の司会の役を仰せつかり、台詞と進行表を頭にたたき入れ、万全の体制で会に望んだ。まだまだ私の出来はイマイチだったけれど、そんな晴れ舞台で司会という大役を頂いたことにとても感謝している。

そしていよいよ運命の日を迎え、私は大変緊張していた。日付が変わったあたりで確定が出て事務所が歓喜に満ち溢れたのを今でもよく憶えている。万歳をして、缶茶で乾杯をして皆の労をねぎらった。最高の結果を得られて私は普通の大学生へと戻っていった。

帰った私を待ち受けていたのは、サークルだった。イベントサークルである。2回の前期に拉致問題をテーマにした講演会を行うことを春先の会議で決定しており、その日程が近づいていたのである。私はサークルが忙しい時期に大学を離れていたのでメンバーには本当に申し訳なく思い、尼崎から戻ったら私のできる限りのことをさせてもらおうと心に決めていた。まだまだ仕事は山積みで、私は主に広報、協賛営業を中心に活動をしていた。新入部員を連れて指導をしながら着々と準備を進めていった。広報でもいかに多くの学生に関心を持ってもらえるようにすべきか、また営業ではいかに私たちの熱い気持ちを理解してもらうか、協力してもらうかを常に考え、行動した。結果は良いものには程遠かったけれど、これが今の自分の実力のラインだということを認識でき、良い勉強になったと思う。

今回の講演会は2回に分けて開催した。各回もゲストは違う人。会場も別。こんな試みサークル始まって以来の偉業だった。だがこれも皆の力があってのおかげ。一年前の人数には遠く及ばないけれど、それなりにお客さんも入ってくれて満足の行くうちに講演会は無事終了した。

それからが大変でその講演会終了後、私は次期代表に任命され、新リーダーとしてサークルを引っ張っていく立場になった。ただ困ったことにその後大半の人間が辞めていってしまい、残ったのはわずかとなった。これだけではサークルの存続も危ういと思った私はサークルを存続させるため後期は新入部員のリクルーティングをひとつの柱に、小規模なイベントを開催できれば良いかなというくらいに代表就任直後、そして夏休みと考えていた。

ちなみにこれは余談だが、2回生から私は急激に成績が下がり始めた。尼崎に行っている間に重要科目のひとつで中間試験があり、それに出られなかったために、それを落としてしまったことがあった。それを境に勉強に対するモチベーションが下がりはじめ、単位を取るだけの勉強スタイルに身を投じるようになってしまった。

そして2回の夏休み。この長い夏休み、何をして過ごそうかと考えていたときに衆議院が解散され、日本列島は選挙モードに突入した。私も特に予定を決めていなかったのでいつもお世話になっていた先生のところでその活動をすることになった。

ここでも本当に色んな出会いがあった。主に学生スタッフの層の厚さに驚いたし、彼らを統括している学生リーダーの統率力、カリスマ性、人脈の広さに驚嘆した。彼は学生スタッフを一から組織し、全て自らの友人で固めていた。その数約30人程度。頭の回転も速く、指示も的確でどこをとっても文句の付けようがないくらいであった。私は一応経験者ということもあり、大抵は彼とコンビを組み、組織のマネジメントから他の人の手の回らない末端の仕事までを全て引き受けてやっていた。彼と組むと、非常に高度なことを要求されるので大変なときも多々あったけれど、自分がワンランク上に行くためには欠かせないと自らを奮い立たせ、あくまでも貪欲になって行動をしていた。

結果は残念なものであったが、彼との経験、そしてできた友情は何物にも代えられない財産となった。この時期は夏真っ盛りということもあり、非常に暑く、そしてとても熱い最高の夏にすることができたように思う。夏休みの後半は、香川に旅行したり、大阪を観光したりと普通の学生らしく過ごしました。




後編に続く。
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# by gandai | 2008-03-30 23:56

大学生活を振り返って1

まだ実家のPCはネットに接続できていないんだけれど、このままいたら年度を越してしまうので、思い切って大学生活を振り返っての思いや感想などを書くことにしました。相当長くなるかなぁーとも思ったけれど手短に書くのでどうか皆さん最後まで読んで頂ければ幸いです。



まず最初は大学1回生。

入学当初、私は早速サークルとバイトを探すことに奔走した。最初に入ったサークルは、バレーボールサークルだった。動機は単純で中高と体育などでバレーをやったことがあり、凄く面白みを感じたからだった。それより前にいくつかお試しということでいくつか見学させてもらったサークルもあった。ヨットと経済研究をしているという公認団体。でもすぐに頓挫してしまったため、お試し期間で終了した。

バレーの方は大体夏くらいまで続けた。ほぼ週2日のペースでやっており、ほぼ毎日参加して、友達も何人かできた。先輩もすごく良い人ばかりで、楽しいサークルだった。同時進行で塾講師のバイトも始めていた。これはぜひ一度してみたいバイトだった。教えていたのは英語と数学。レベルは高校受験まで。直前まで浪人生として受験対策を受けていた自分としてはこれは余裕だろうと思っていたが、自分が授業を受けるのと教えるのとでは全く違うのだということを講師になってみて初めて分かった。大体ここも夏期講習が終わるくらいまで続けていた。その夏休みの間は、プールの監視員のバイトもしていたこともあり、一回の夏は結構忙しかった。少し前期はバイトを集中的にやりすぎたので、そろそろおざなりになっていた大学の方へ足を戻すことにした。

後期からは大学の授業に精を出しつつ、イベントサークルに入った。その年の6月頃にあった講演会を聴講しに行ったのがきっかけで、そのサークルに入ることを決めた。そこの代表(当時)に熱烈に口説かれ、入ったというのが本音だが。熱い人だなぁーというのが第一印象だった。ただ、その人との出会いによって私の学生生活、ひいては人生が大きく変わったと言ってもいいくらいに、その人との出会いは印象的だった。

後期も前期に引き続きイベントを行った。テーマは、社会に内在する悪といかに対峙すべきかというものだった。講演会をセットし、それに伴う色々な仕事を私もサークルの一員として行った。ただ扱うものも大きいため普通の学生では背負うことのない社会的責任の大きさ故、人間関係も頻繁にこじれ、順風満帆に全てが動いていくというわけには行かなかった。ただそれもサークルでの良い勉強だと思って、またこのサークルは大学のどのサークルよりも意義があるものだと実感し、メンバーと切磋琢磨しながら活動を続けた。

また、サークル活動を仕事のように感じること自体、サークルの定義から外れているのではという疑問を持った私は、メンバーのコミュニケーションを図ることを目的に、遊び感覚のちょっとしたイベントもサークル内に企画していった。たこ焼き、焼き芋、鍋、寒中BBQなどなど皆が楽しんで参加できる環境を率先して創り出し、溜まったストレスを解消するのに活用してもらった。

このサークルの基本的なコンセプトは、何か学生時代にでかいことをやりたい、それによって自分を成長させ、その効果を社会に還元させていきたいというものだった。ただそれまで漠然と学生生活を送っていた私にとって、初めて大学で明確な目標というものができたような気がした。前期の講演会に参加してみた私は、学生がこんなすごいことをできるんだ!と素直に感動したのを今でもよく憶えている。こんなことを自分もやれたら良いなと思い、そのサークルに入ろうと決意をした。

また私はよくブレーンということも意識していた。優秀な人間には、必ず優秀なブレーンがいるというのはよく知られているが、私は同じサークル内に何でも相談できる先輩を作り、よく疑問を相談したり、意見を仰いだりした。よく私のひとりよがりで独断的なストレートすぎる考えを、是正してくれたり、良い方向へ修正してくれたりもした。先輩は外部の人間ではないが、こういう第三者の視点から意見をもらうことで、ときに冷静に、ときに視野を広くして自らの意見を見つめなおすことができるのだということ学び、これからも十分に活用できる処世術だと感じた。

そして忘れられないのは一回の春休み。大学最初の春休みを何して過ごそうかなと考えていた私に、サークルの代表(当時)から、「尼崎に修行に来い」とお達しを頂いた。何をするのか全く知らされていなかった私だったが幸い特にすることもなかったので、私は2ヶ月余りある春休みを縁もゆかりもない兵庫県尼崎市で過ごすことを決めた。

尼崎に出発する当日。その日は関西一円で大雪の日だった。私は予定していた時刻よりも大幅に遅れて尼崎に到着した。まだ大阪までしか行ったことのない私にとって、尼崎も兵庫も未知の土地だった。立花駅に到着した私がまず最初に連れて行かれたのは、二号線沿いのマック。そこで全く見ず知らずの4人が会議をしていた。そこに連れて行かれて、先輩が私を紹介する。私も自己紹介をする。そうしたら皆さんからも自己紹介があり、そこで何枚か名刺を頂く。それでまた会議が再開。何も分からないので黙って話を聞いていると、段々と私が何をするのかが見えてきた。私はその日からその中のひとりの家に泊り込みで活動を始めることとなった。

それが二ヶ月間続いた。毎朝5時半に起き、日が沈むまで一日中尼崎の街中をくまなく走り回る生活。たまにそんな単調な生活に嫌気が差すこともあったけれど、そんな生活の中でも、良いことはあった。そのひとつは、本当に色んな方にお会いする機会が多かったこと。実際にこの社会を動かし、またそのサポートをする方々、超一流のビジネスマン、同世代で同じ学生なのに私よりも崇高な志を胸に秘め、自らの成長に物凄く貪欲な方々など、今後の私の目標とすべき人たち。大学では見つけれられなかった熱い人間。この方たちにお会いできただけでも、私はここに来て良かったと思えた。

正直言って私にはまだまだそこはLevelが高すぎた世界。知的にも人脈的にも全てにおいて。ただ現状に甘んじていたのれあれば、私にはその先はなかった。むしろ退化していたかもしれない。人は時間の使い方によって進化もすれば退化もする。自分の殻を破り、勇気を持ってその世界に飛び込んでいったからこそ、私は机上では決してできない多くの学びをし、経験もした。この先、これほどの経験ができるかどうか定かではないけれど、学生時代に勇気を持って小さな殻を打ち破った自分の姿を誇りに思う。




1完。
(やばい長すぎですね。。次からはもう少し簡略にしていきますー(笑))
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# by gandai | 2008-03-30 15:35

パムって何?

田中から電話がかかってきたときの最初の一声はいつも、



「あ、寝てた~??」



でしたwwwww
そんなにいつも寝てませんから~残念!

昨日は宣言どおり夜中に三河湾までドライブしてきました@ひとり。。。
寂しすぎます!
「恋の片道切符」を爆音で流し、かつ一緒に歌いながら爆走してきました。
おかげで何度か命を落としそうになりました(マジw
でも本当に海は気持ちが良いです。
これからも何度かたそがれに行きたいと思います。

さて今日は相変わらずすることもないので昼に起きて部屋の片づけを。
先日まで滋賀の部屋の片づけをしていたばかりなのにまた実家の片づけかよ!
と思いながら色々と整理していました。
昔の写真とか恋文とかを見ながら懐かしいなーと感慨にふけっておりました。

と同時に若さを実感。
今の僕は本当に退化しているようにしか思えません。
本当に昔の思い出って恥ずかしいものが多いですが、
そういう甘酸っぱさこそ青春時代の醍醐味ではないかと感じています。
これらの思い出はいつまでも良き青春時代の思い出として心の中に留めておきます。

さてパムってご存知ですか皆さん。
今日うちの妹がパムあるからーとかほざいているのを聞いた私は、
パムって何やねん!と関西弁で突っ込んでみたら
まず最初にキモイと言われww
それからマックのバイトメンバーでする懇親会のことをパムと言うのだということを知りました。

これから懇親会をするときはパムと言いましょう。
以上何の脈絡もない文章ですみませんでした。



Ciao.
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# by gandai | 2008-03-26 18:12

あー暇。

今月に入ってから初の連続更新です。
私にとってはなかなかの快挙です。

今日引越しの荷物が届きました。
PCが復活したら大学時代の思い出とかを徒然に書いていきます。
やっぱりあちらのPCの方が私にとって使いやすいです。

基本的に私は出不精なので今日は郵便局に出かけた以外はずっと家で引きこもり。
郵便局からの帰りはちょっと散歩でもしようかなと大回りしてみました。

いやーやっぱり私の街は田舎です。
近くに山はあるし川は流れてるし田んぼもあるしで大変のどかです。
ここ10年でこそ新築ラッシュによってそれに伴い再開発も進んではいますけど、
まだまだ草津や尼崎といった都市から見れば田舎です。

そして私が小さい頃よく遊んでいた公園を発見。
誰もいなかったので少し遊んでみようと思い、
大の大人が滑り台など遊戯でしばし時間を潰す。



普通に見たらかなりやばい光景です(爆)
ひとりで滑り台で「わー!」とか言って滑ってる姿は滑稽以外の何物でもありません。。
でも久しぶりに童心に戻ったみたいで楽しいひと時を過ごすことができました。

しかし暇です。
昼頃に起きてご飯を食べて新聞読んでテレビ見てネットサーフィンして…
基本的に草津での休日の生活と変わらないんですがかなり暇な感じです。

あまりに暇なので今日は夜に三河湾まで車で出かけてたそがれてきます。



Ciao.
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# by gandai | 2008-03-25 19:02

卒業、そして帰郷

皆さんこんばんわしづかみ。
卒業してから初Blogになります。

遂に今日、滋賀の棲家を引き払い実家に帰ってまいりました。
この4年間は夢の異空間にいるかのごとく、すごく素晴らしい日々が続きました。

上手く言葉にはできないけど、
というか何と言ったらいいのか言葉さえ見つからないけど、


何物にも代えがたい大学生活でした。


そのように思えたことだけでも4年間は意味があったと思います。
ただ今日はもう疲れたので長くは書きません。

ただいつも一緒にいることが当たり前だった友人らとの別れは本当に辛い。
電話やmailで連絡をすればすぐに会うことのできた友人らは全国に散らばり、
そう会うのもままならなくなってしまったことは今はまだ辛い。

でもこれは時がいずれ解決してくれる問題だと思います。いつの日か再会したときに笑顔で握手できるようなそんな仲でいたいですね。これからの人生を考えてもこれだけ濃い友情を築くことはこの先ないくらいに良い方々に巡り合えたことは私にとって大切な宝物です。こんな台詞面と向かっては言えないのでBlogで公開しますが…。笑いたい人は笑ってくださって結構です。でもこれが私の嘘偽りのない真実ということは分かって頂きたい。

明日から実家の一員として生きていきます。
そして4月からはいよいよ扶養家族に終止符を打ち、
真の意味で親から自立してこれからの人生を歩んでいくことになります。

目に見えるものだけが全てではなく、目に見えないものやまだ見ぬ人との出会いの縁を感じられてこそ人として本物ではないかと思っております。一寸先は闇という言葉通りこの先の読めない世の中、怖さというものが一切ないというわけではございません。ただ怖れていては何も始まらないのです。怖れることがあろうとも勇気を出して着実に自らの一歩を以って社会という名の土をしっかりと踏みしめていきたいと思います。



私が23年間ここまでやってこれたのは支えて頂いた友人知人の皆様、
そして両親があったからこそだと思います。
今まで頂いたご恩をこれからは私がお返ししていく番です。
まだまだ未熟で不勉強で至らないところが多々ございますが、
今後ともご指導の程お願い致します。


ではまた近いうちに。
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# by gandai | 2008-03-24 22:04